それを魔方陣というフォルムで表した名作(笑)も向こうで発表した。
(なかなかナイスな発掘なので、おヒマがあったらどうぞ)
二柱の神を別な形で表現できないか?と思っていたら「灯台下暗し」
ふたつの神社の神紋が神のキャラクターそのままを表しているのでは?
みっつの珠がある意味平等に存在 クルクル回る永久運動
ひとつの珠が我が身をふたつに割りながらも、残りのふたつの上に君臨
上記の魔方陣に出てきた玉置神社と熊野本宮大社の神紋です。
仏教のシンボルとされる「卍」も、スサノオちっくな「三つ巴」も
時計回りの回転を表してるのは一目瞭然なので、その意味では
同じ「価値観?」 異なった「表現法?」なのかもしれませんね。
(仏教の祖・仏陀自体は坐禅くんだり寝っ転がったり、あんま動かない
イメージだけど、笑)
OHMOTO的には「仏陀とスサノオ」なんかあった気がします。
玉置神社の神紋はもともと妙に興味ひかれるフォルムでしたが、
基本コロコロ転がりたがる(さっきの熊野では回転してた)性格のものを、
ひとつの「珠」が我が身を犠牲にして裂かれながらも、残りのふたつを
押さえつけて固定?してるようにも見えます。
そういえば神社の名前自体が「玉置神社」!?
コロコロ安定せず動いてる状態を「置」と表現する人間はいないでしょう。
つまり動かない(動けない?)不動を表してると考えてもいいのでは。
玉置神社といえば「十種の神宝」が隠されてるとかなんとかでも有名です。
そのなかのいくつかは「珠」の神宝だったと記憶していますが・・・
あまり国常立尊の悪口は言いたくありませんが、基本的に動きたがる珠を
不動にすることは、ある意味「封印」に近い行為なのでは?
やはり野に置け(卍の)蓮華草、ならぬ
やはり(回転・大車輪の)熊野に置け、十種の神宝(の珠)?
活き活きと発動させるために・・・毎度毎度罰当たりなことを書いて
バチが当たらないか心配ですが神さまも暇じゃないんで、このブログを
見てる事も無さそうなので大丈夫でしょう。
プラス思考だと大切な宝珠を今の今まで保持できたのはよほどの神威が
無ければ不可能だったってことでしょうね(さり気なくフォロー、笑)
でも僕の考えがそもそも間違いで「十種の神宝」といえば連想するワード
「鎮魂祭」つまり「鎮たま」つまりEQUAL「鎮珠」≒「玉置」という
スライド&等号ができるなら、この神社こそ相応しいってことになります。
こっちのほうがしっくり来るかもしれませんね。
以前、大本のふたりの教祖を「アクセル」「ブレーキ」になぞらえましたが
それにぶっといラインでリンクできる今回の記事でした。
ふたつのフォルムに対する解釈はあくまで個人的勝手なものだけど
永遠に追いつけない神の世界に小さく一歩近づいた・・・と自画自賛!
これを思いついた直後、昨日のセージ天の霹靂の後に妄想したことは
「平凡な道」ブログに書いた。